不条理な世界?

そういえば先日前の前の上司が交通事故で亡くなったんだけど、不条理だなぁと思う。怒りや悲しみがあるわけではない。
けど、まぁ不在が心に沁みるというか。

が・・・う〜ん、ある意味不条理なのは自明なのだが、それをカバーすることが社会だとか技術だとかそうものが担うことが期待されると思うのにそれが機能してないのか・・・

日本では交通事故死は4%、がんの30%に比較すると小さい。リソースの振り分けか・・・?自動車の危険はスピードにこそあるのに信号やガードレールやエアバッグによって対処しようというのは曲がった方向性な気がする。
投資すべきは都市の高集積化とかそういう方向じゃないかな。

シラーの『新しい金融秩序』でリスクの話を読んで、Ringo's Weblogのパケットビークルの話(http://www.ce-lab.net/ringo/archives/2005/05/09/index.html#a000021)を読んで思ったことに微妙にリンクするのだが、隣にある危機に無防備かつ無自覚なままなような・・・

んー、不条理か。正しく報われるべきだ→正しく報われる、が条理だとすると、正しく報われるべきだ→正しく報われないは反条理か?

正の相関があるか負の相関があるかという違いで上二つには原因と結果に関連があると見てるわけだが、んー、反例は多くて破綻しそうな理論だな、と思う。

条理の不在というか、原因と結果になんの相関もないって思ってるんだが、そういえば山本七平の『空気の研究』に面白い話があって、出典聖書で、「敬虔なキリスト教徒のホニャララ氏がある時からありとあらゆる災厄に見舞われるようになって、訪れた友人が、こんなに悪いことがおきるからにはホニャララ氏には隠れた罪があるに違いないっ、て言った」って話だ。

その辺は大概宗教でカバーするのが筋だが、ってか条理を求める心情と条理ない現状のコンフリクトを慰撫するのが宗教だろうと思ってるんだが、まぁ機能してないわな。
おれ自身も特定の宗教にコミットしてないので、そういう宗教が溜め込んだ知恵にはアクセスできないから自力でなんとかしる!って話か?


・・・というようなことを考えていたのだが、互恵性や因果は社会契約のレイヤーでのルールなので物理法則のレイヤーで語ろうとするは間違いだ、ということを言おうとしてた気がしてきた。